私が生まれた家は、大昔からずっと餅屋でした。
餅をつく音を聞きながら、私は育ちました。
でも、自分が餅屋になるとは思ってもいませんでした。
研究者になりたくて、三重大学で農芸化学を学び、
卒業後は研究職として、でんぷんメーカーに就職しました。
ところが、入社して1年ほど経ったころ、父が悪性腫瘍を患いました。
私は家業を手伝うため、会社を辞めることになりました。
こうして、泣く泣く実家に戻った私の耳に聞こえてきたのは、
餅をつくドシンドシンという音。
力強く、あたたかく、心に響く音でした。
「この音を、絶やしてはいけない。」
そんな気持ちが自然に湧き上がってきました。
そして私は、餅屋として生きていこうと決心したのです。
餅や和菓子づくりの技術をひと通り身につけた私は、
新しい和菓子を作ろうと躍起になりました。
世間では和菓子離れが進んでいると言われており、
自分が玉𠮷を変えるという気負いもあったからです。
ところが、いくら目先を変えた商品を作っても、
お客さまがお求めになるのは、
「けいらん」や「おはぎ」、「大福」や「草餅」といった、
昔ながらの気取らない朝生菓子ばかりでした。
それらに共通しているのは、究極にシンプルだということ。
長い長い歴史の中で完成されたおいしさに、
何かを「足す」のは愚行なのだと思い知ったのでした。
すっかり玉𠮷の看板となった「みたらし」。
注文を受けてから焼きはじめ、
外は香ばしく、中までしっかり火を通し、熱いところをご提供しています。
しかし、かつては朝の仕込み時に一度に焼いて、
タレをからめた状態で店頭に並べていたのです。
ある朝、みたらしの仕込みをしながら、私は考えました。
「焼きたてのみたらしはたまらなくおいしいのに、
なぜそれをお客さまに食べていただかないのだろう」
そして翌日からは、みたらしのつくり置きをやめ、
注文を受けてから焼くことにしたのです。
「今からお焼きしますので、5分お待ちください」
最初はそう言うと「待てない」と断られることがほとんどでした。
今では、5分を惜しまれるお客さまはいらっしゃいませんが、
ここにたどりつくまでには数年を要したのです。
玉𠮷のみたらしの材料は、
米粉、醤油、砂糖、葛の4つだけです。
余分なものを引いて、引いて、
これ以上引いたらみたらしが成立しないところまで引き算して、
どうしても必要な材料だけを厳選して使っています。
理由はただひとつ、そのほうが「おいしい」から。
日持ちとか、作りやすさとか、効率とかいう、
おいしさ以外のことのために、余分なものを入れない。
それは、玉𠮷のすべてのお菓子に対する、私の信念でもあります。
つるりとした柔らかい団子も、玉𠮷のみたらしの特長のひとつ。
材料はシンプルだけど、作り方は簡単ではありません。
まず、蒸練機という機械を使って、粉と水を蒸しながら練って、団子の生地をつくります。
この状態で団子として売っているところも少なくありませんが、
私たちはそれを一旦冷水で締めてから、餅つき機でつきあげます。
さらに、それをせいろに戻して蒸し、最後にもう一度つき直して仕上げます。
この工程によって、柔らかさとコシの両立した、おいしい団子ができるのです。
こんなふうに手間暇のかかりすぎる団子だから、
作り方を公開しても、たぶん誰も真似できないと思います。
玉𠮷の餅は、餅米だけでできています。
私は、子どものころからそんな餅を食べて育ちました。
混じり気のない餅の味を知っていることは、
餅屋として生きていくための大きな強みになりました。
私はさらに、大学でデンプンと糖質の研究をしました。
そこで身につけた科学的な知見は、
余分なものを使わずにおいしさを追求するための力となっています。
きっと私は餅屋になるために生まれ、
餅屋としての英才教育を受けてきたのだと思います。
そして、そんな私だからできることは、
まっとうな味、本物のおいしさを、
多くの人に伝えることだと思っています。
近頃は、地方の催事に出店することが増えました。
毎年出店する百貨店では、リピーターのお客さまも大勢できて、
1万本ものみたらしが売れるほどの人気ぶりです。
しかし、せっかく玉𠮷のファンになってくださっても、
年に一度の催事のときにしか召し上がっていただけません。
「なんとかして、遠くのお客さまにも、
いつでも焼きたてのみたらしを楽しんでもらいたい。」
そう考えた私は、オンラインショップに挑戦しました。
そして、味・風味・品質を損なわない冷凍保存によって、
お店そのままのみたらしを、ご家庭で楽しんでいただけるようになったのです。
私が次にめざすべきことは、
もっともっと多くの方に召し上がっていただくために、
「玉𠮷のみたらし」を伝承すること。
その方法を全力で考えていきますので、
どうぞ楽しみにしていてください。